私達が暮らす日本という国で、いわゆる「自動車リサイクル」というものが始まったのはいつからでしょうか。
自動車が発明された時にはもう既にあったのでしょうか。
それともある日突然誰かが始めたのでしょうか。
実は、自動車リサイクルの始まりの歴史は、あの多くの犠牲を出した関東大震災と深い関係があると言われているのです。
1923年(大正12年)神奈川県相模湾北西沖約80kmを震源としたマグニチュード7.9の今も語り継がれる大地震で、人々や建物はもちろん、
自動車も甚大な被害を受けました。
損傷して修理の必要がある自動車の数も当時では考えられない程あったと言います。
しかもそのころ日本で走っていた自動車のほとんどはフォードやゼネラルモーター等の外国製のクルマで、
修理を使用にも部品を取り寄せるだけでも費用も含めて大変で、とても新品の純正品だけでは間に合わないという状況でした。
そこで、あえて修復する部分の多いクルマは廃車にしてしまって、
そこから使える部品を取り外して損傷の少ないクルマに使うという、まさしく今の自動車リサイクルの方法が考えられたと言います。
余談ですが、自動車に使えない部品も馬車などに使ったそうです。
物を大切にするという日本人らしい発想ですが、それが今の自動車リサイクルにつながっているということを考えると感慨深いものがありますね。
そうしてやがて世界大戦がおわり、平和とともに経済が回復し、
そこから一気に高度成長期に入った日本は、自動車生産台数がそれまでの1,500倍以上にも膨れ上がりました。
日本の自動車メーカーも急激に成長し、トヨタ、日産、スバル、ダイハツ、スズキ、ミツビシホンダ、いすゞ、マツダ、ヒノ等々、
今では世界に誇る自動車メーカーに成長しました。
しかし、新しく作られる車が増えるということは、当然廃車の台数も比例して増えることは言うまでもなく、
それにともなって自動車解体を生業とする企業も増えました。
1980年~90年代のバブル絶頂頃には、年間約400~500万台もの自動車が廃車となる時代でした。
その後、バブルが崩壊しそれまではあまり問題視していなかった様々な環境問題が浮き彫りになると同時に、
自動車のリサイクルについても様々な注目を浴びるようになっていき、それにともなって自動車解体業の形態も変化していきました。
ここ近年で一番大きな変化といえば、やはり2005年の「自動車リサイクル法」(正式名:使用済自動車の再資源化等に関する法律)の制定でしょう。
これらの流れにより、廃車の位置づけも自動車解体処分から自動車リサイクルに変わりました。
日本標準産業分類にも正式に自動車解体業として部品取りを主とするもの[5323]と掲載され、
自動車解体屋から自動車解体業に変わっていったのです。
資本主義では経済の変化とともに様々な業界が進化していきます、特に廃車業界はそのような時代の変化に敏感であり、
今後どのような発展を遂げていくのか注目していきたいと思います。